私は、毎日の学校生活や日々の部活動で、「劣等感」というもの
を感じながら生活してきました。私は勉強がすごくできるわけでも
ないし、不器用で上達するのも遅く、なにか才能があるわけではな
いからです。それでも、器用な人間になりたいという気持ちが、と
ても大きかったです。ただ人を羨ましがる、そんなことしかできな
い私は、自分が嫌いでした。
私の中は「劣等感」という大きな塊でどんどんいっぱいになって
いき、こんな気持ち誰にもわからない、そう思いながらいつしか私
は、人を信じることもやめていました。仲の良い友だちにさえ、本
当のことを話すこともできなくなっていたのです。人を信じれば傷
付くことがあるということが、このときの自分にとって一番怖いこ
とでした。話してもどうせわかんない、わかるわけない、そう決め
付けていないと自分の気持ちの整理がつかなくなっていました。
そんなある日、そのことが原因で仲のいい友だちと言い合いにな
り衝突してしまいました。自分がわかっていることをすべて言われ
てしまい、さすがに腹が立ちました。私は、その友だちと一緒にい
ると、いつも「劣等感」というものを感じていました。一緒にいる
分、距離が近いだけに相手の色んなところが見えてきます。私には
ないものをたくさん持っていた友だちが、ただただ羨ましくてしか
たがなかったのです。次元が違う、そう思うことで話せることも減
っていったのは、たしかです。それで、ケンカになってしまいまし
た。
このことについて、家で兄と少しだけ話すことがありました。私
は、今まであったこと、思っていることを全て話しました。兄は最
後まで話を聞いてくれ、私にこう言ってくれました。
「今みたいに、家族を頼ることは悪いことじゃないけど、お前はも
う少し友だちを頼ったほうがいいんじゃね。」
それを聞いたとき、自分の中で何かがあふれて涙が止まらなくな
りました。また兄は、
「話してもないのに勝手にわからんなんて決め付けちゃいけん。」
そう言いました。
次の日、私は思っていたことを友だちにすべて話し、謝りました。
兄が「思っていることをちゃんと言ってくれる友だちは、良い友だ
ちだと思うよ。」と言ってくれたからです。それなら、私も思った
ことはちゃんと相手に伝えようと思いました。久しぶりに人を信じ
るということは悪いことじゃないと思えた瞬間でした。
ふと、誰かになりたい、そう思うこともあるけれど、自分だから
こそ感じられる思いがあると、今では思います。
決して、私の中の「劣等感」が消えた訳ではないですが、前より
もその塊は小さくなったように思えます。私は、自分が人よりも特
別にできることは何一つないと思っていました。けれど、どんなに
友だちにかなわなくても、できることから自分なりに努力していこ
うと、今では思えるようになりました。
少しずつでも、前に進んでいると実感できるように、これからも
日々頑張って行こうと思います。
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