「おじいちゃんはね、娘や大好きな孫たちが、『お父さん』とか『お
じいちゃん』って呼んでくれるだけで幸せなんだって」
祖母が母に話し始めました。祖母と母と私とで遠出をした日の車での
帰り道、疲れていた私は、横になり目をつむっていました。それを見
た祖母は、私が寝ていると思ったのでしょう。
「血のつながりが無い娘や孫たち。それなのに、そうやって呼んでく
れるのを聞くと、安心するんだって」
小学校六年生の春、祖父と私は血がつながっていないということを、
母から聞かされました。「そうなんだ」と口では流しておきながらも、
心が揺れました。祖父が大好きでした。遊びに行くと、いつも優しく
受け入れてくれる、そんな祖父が大好きでした。その祖父と血がつな
がっていない……それまで大好きだった祖父が、なぜか遠い存在に感
じられることに、とまどい寂しさを感じていました。そんな時、聞い
てしまった祖母と母の会話。普段泣き顔を見せない母が、このときは
涙を流して泣いていました。母にとってやはり、死んだ実の父が本当
の父だと思う気持ちが、心のどこかにあったのでしょう。その父親を
忘れることができなかったことを悔やんでいる涙なのかも知れません。
それとも、実の娘でもない自分のことを、こんなにも愛してくれてい
る祖父の気持ちが嬉しかったのか、それは私には分かりません。二人
の会話を聞きながら、私も涙が溢れてきました。
「もう寝たんかねえ」
祖母が私の方を見て言いました。本当は起きていたけれど、私は恥ず
かしくて顔を上げられず、ただ溢れる涙を隠すのに必死でした。頭が
良いわけでもない、運動ができるわけでもない私。そんな私が『おじ
いちゃん』と呼ぶことを、心から喜んでくれている祖父。それは、祖
父の優しさ、愛情深さを知り、自分の幸せを実感できたできごとでし
た。
私はこれまで自分のことを「あまり幸せではないな」と考えてきま
した。人と比べて特に優れているものもない。ドキドキするようなお
もしろいことが起こるわけでもない。何も起こらない日々が面白くな
いと思っていたけれど、それは気付かないだけ。私のすぐそばにもき
っと幸せはある。
車に揺られながら祖母と母との会話を聞きつつ、私はそんなことを
考えていました。そして、思い出したのはある先生から聞いた話です。
度々カンボジアを訪ねて、子供たちにスポーツの楽しさを教えたり
していた先生は、笑顔いっぱいの子供たちの写真をよく見せてくださ
いました。カンボジアの子供たちの生活は、決して裕福ではありませ
ん。ですが、彼らは、自分が生きていることに感謝し、自分の生活を
幸せに思っているそうです。そして、未来に希望を夢見ている……そ
う語ってくれた先生は、今年の三月、教師をやめ「子供たちを元気に
したい」と言ってカンボジアに旅立っていったけれど。胸を張って
「自分は幸せだ」と言えるカンボジアの子供たちって格好良い。世界
で一番幸せな子供たちかも知れません。でも、私だって。「自分は幸
せだ」と、そう思えた瞬間から、世界で一番幸せな子供になれる。
私には、大好きな祖父がいます。私のことを大切に思い、愛情を注
いでくれる自慢の祖父です。私には、自分のことを守ってくれる家族
がいます。支えてくれる友達もいます。そして、将来も大切にしたい
と思えるような誰かに出会える。それを思うだけで、なんだか心がわ
くわくします。
今は秋。木々が葉を落とし、新しい芽をつける準備を始める季節。
「芽」という言葉には、「幸せがめぐってくる」という意味があるそ
うです。私はこの先もたくさんの幸せの「芽」に出会うと思います。
その「芽」に気付かず枯らせてしまうか、美しい花に成長させられる
かどうかは私次第。
私は私の出会った幸せのひとつひとつに感謝したいと思います。そ
して、小さな「芽」に水をやり、確かな花へと成長させていきます。
私の大切な家族と共に。
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