誰もがたった一つしか持っていないもの。それが命です。その大
切な命がたった六年間のあいだに、世界中でたくさん失われました。
約七十年前に起きた第二次世界大戦によって…。
約三百十万人。日本だけでもこんなにも多くの尊い命が失われた
と言われています。特に、広島・長崎に投下された原子爆弾により、
多くの人々の命が奪われました。
曽祖母や祖母から、岡山大空襲の時、家の上を飛んでいく戦闘機
から、爆弾がばらまかれるところを見た時の話や、幼かった祖母を
祖母の姉がおんぶして空襲から逃げた時の話などを何度か聞いたこ
とがありました。その話を聞いて、戦争はとても恐ろしいものだな
ぁと思っていましたが、五月に行った修学旅行で、想像をはるかに
越える恐ろしさと残酷さに、思わず手が震えてしまいました。それ
は、原爆資料館で、原爆の熱線によって溶けたガラスビン、真っ黒
になってしまった女学生のお弁当、やけどで皮膚がただれてしまっ
た子供の写真などを初めて目にしたからです。今、私達が生活して
いる環境からは、想像もつかないものばかりでした。
また、高校生平和大使の方からお話を聞く機会がありました。私
達は、被爆者の方から直接、被爆体験を聞ける最後の世代だという
ことを知り、この残酷な戦争を少しでも後世に伝えていかなければ
ならないと思いました。
この悲惨な戦争と犠牲は、日本だけで起きていただけではなく、
遠く離れたドイツでもとても残酷なことが起きていたということを、
私は、小学校四年生の時に出会った、ある一冊の本から知りました。
アンネリース=マリー=フランク。彼女は、ユダヤ人として生ま
れたというだけで迫害され、罪のない命を奪われました。1933年、
ナチスという政党の首相、ヒトラーを中心にユダヤ人迫害が始まり、
1941年には、ユダヤ人狩りが始まりました。
アンネ一家は、姉への出頭命令をきっかけに隠れ家へ引っ越しま
した。ところが、約二年後の8月4日、ついにドイツ秘密警察に見つ
かってしまいました。アンネ達は強制収容所に送られ、地獄のよう
な日々を過ごしました。毎朝五時に起き、一日中働きますが、食事
という食事も与えられず、ストレスや飢えから体調を崩す人々がた
くさんいました。そんな人達は、すぐに毒ガス室に入れられて殺さ
れました。毎日、毎日、何百人ものユダヤ人が虐殺されていきまし
た。そんな中、アンネは人のために涙を流し、希望を持ち、たくさ
んの仲間を励まし続けたのです。
ところが、1月に母、2月に姉、3月にアンネが、母と姉を追うか
のようにチフスという伝染病にかかり亡くなりました。私達と同い
年の十五歳という若さです。学校へ行って、大きな声で笑って、思
いっきり走りまわって…。そんな私達の日常である自由さえも感じ
られないまま、この世を去ってしまったのです。
罪のない人同士が殺し合い、そして死んでいくこの無惨な戦争を、
私達の世代でも後世でも二度とくり返してはなりません。
命とは、人と人とが助けあっていかなければ守れないものだと思
います。支え合い、励ましあい、罪なき命が奪われることのない世
界を目指すことが、平和へとつながるのではないでしょうか。今あ
る、このかけがえのない命を大切にしたいと思います。
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